ホントーに表現したいことだけを表現すれば、わかりにくいものになる。

 かといって、説明(的なせりふ)を加えれば、とたんに白々しくなり、表現とは離れる。

 とりわけ映画は、短くて90分、長くて2時間半の中で表現しなくちゃいかんから、バランスとるのがとても難しい(だろうなと門外漢のわっしは思う)

 BGMや風景、表情、仕草など、台詞とナレーション以外の方法で、「なにか」を表現しようとすれば、当然、ある程度は鑑賞者の能力に頼らざるを得ない。そして、その表現が配置された場所が悪ければ、とたんに意味不明なものになる。いわゆるつぎはぎ的な映画になってしまう。

 そして、なにが言いたいのか、また、なにがテーマなのかは(監督自身が解説している映画もあるケド、あれはちょっと止めた方がいいと思うなぁ・・・)わかるけど、なぜそのシーンが必要だったのか、わからない、ってことになる。

 気が短い鑑賞者なら、中盤に至る前の冒頭で意味不明なシーンを見せられたら、「オナニー映画だな」などと言って席を立つだろー。

 

 わっしは読んだ本の数と観た映画の数とでは、若干本の数のほうが多いんだが、物語を作るなら、映画のほうがなんちゅーか、表現しやすいんじゃないかなーと思う。

 活字で表現するなら、いわゆる「布石」「伏線」ってやつは、気づかれずに置く、引くことはできない。文字にせざるを得ないから、どうしてもちょっと匂ってしまう。

 でも、映像だったら、けっこうしれっと紛れ込ませることができる。ここに一日の長があるんではないか。ただ、ヘタな(エラソーに)監督さんがとると、無駄に説明的な映像になってしまって、興醒めだということがたまにある。その典型は、ピントを変えての説明。「重要アイテムはここにありますよー!」的なね。

 

 そして今日の本題は、「八重の桜」。試験のため、2週連続で視聴を自粛したんだが、その間にもう鳥羽伏見の戦にまで進んでた。

 このドラマこそ、わかりやすさを追求した最たるものではないかな。想定する視聴者層が中高年中心だから、当然だけども。

 わからやすい「怒りの表情」、わかりやすい「かなしみ」、わかりやすい「勇猛果敢」。いいね。いいじゃないかな。わかりやすくて。