本棚の肥やし

どきどきフェノメノン

 

 ・・・うん。見切った。

 わっしのおトモダチの口癖。洋服屋さんに入って、特に買いたいものが見つからなかったときによく使います。わっしもときどき使ってた。

 森見登美彦は、「四畳半~」で興味を持ち、「夜は短し~」で、もう耐えられなく(ひさびさに、「全身総毛立つ」を味わった)なって「見切った」わけだけど、森博嗣も、上記作品で、「見切った」。さよなら^-^

 森博嗣は、ベタに「すべてがFになる」から入って、「恋恋蓮歩の演習」で、もう一冊読もうかな、と思い、上記作品を読んだところ、「・・・うん。見切った」に至ったった。

 

 なにがダメって、とにかくいろいろひどい。悪い意味で鳥肌が立つ。

 女性の描写が不自然すぎる。「こんな言葉遣いする人いませんよ~」って担当さんはつっこまなかったのかね。いや、べつに、日常ではありえない言葉遣いをするキャラなんだったら、それでいいんだよ。「~かしら」とか「~わよ」とか使う、富豪の令嬢キャラとかね。でも、そうじゃなく、フツーに女の子(大学生)を描いてるのに、なぁんかオカしい。もう、「オジさんから見た女子大生像」っていうのが、もう行間ににじんでるどころか、3Dで浮いてる。 EX.)「ぞっこん」 「やりぃ!」 [ブティック」(・・・・・・)

 それから、カタカナ言葉の表記がおかしい。もちろん、森氏が理系の文章表現作法にならって、「ウィンカ」、「シャッタ」、「エレベータ」、「プリンタ」のように表記するのは知ってるし、それが彼の文章の一種の味であることも、わかる。

 けれども、それらの表記は、「~するもの」「~するひと」等、擬人化(?)の意味の英単語についてのお約束なのではないか?「printer」「elevator 」「server」とかね

 だから、スーパーマーケットという意味の単語は、「スーパ」じゃなくて、「スーパー」でいいんじゃないでしょうか。コレがとーっても鼻につく。

 むかしコンビニでバイトしてた頃、その店で十数年働いてる(店長にはいじめられてるが、部下には横暴)店員がいたんだよ。そいつ(アラフォー)、もうずっと流れ作業でレジ業務やってるから、タバコ一個だけなのにレジ袋に入れようとするんだよ。んで当然、客は「え?」って顔して、袋からタバコだけ取って出て行く。そいつのこと思い出したよ・・・

 

 以上のことは、まぁたいしたことではないんだよ。わっしが見切った点は、ひとことでいえば、森氏の選民思想。コレだよ。 

 なんちゅーか、ことあるごとに、「理系特有の視点」であることが強調されるんだよねぇ。それがとーんでもなくイラっとする(べ、べつにわっしは文系だからって劣等感もってるわけじゃないよう)。あ、別に、いきなり主人公の研究室の実験の様子とかが、専門用語を交えながら描写されるとかは、いいんだよ、というかむしろけっこう好きなんだよ。「フェルマーの最終定理」(S・シン)とか、数式一個も理解できないけど大好きだし。

 そうじゃなくて、主人公とかのモノローグの部分に、その選民思想がありありと見てとれるんだよなぁ。

 

 あとねー、主人公(女性)の勘違いがひどい。ヒンシュクを買うことを恐れずに言えば、まわりの男が高専病に罹っていることをまるでわかってない。「高専病ってなに?」って?それはね、高専の学生のうち、女子は3%くらいだから、ちょっとくらい見た目がアレでも、好きになってしまう(ならざるをえない、ともいう)という、おそろしい病のことだよ。

 「男はみんなわたしに夢中」といわんばかりの勘違い。選ぶ権利はすべてワタシにある、って具合にね。

 

 最後に、さっきの選民思想とも関係するけど、やたらと主人公が、自分の基準ないし価値観が世間一般のものとズレていることを独白(モノローグ部分)しているんだよね。これがうっとーしくってしょうがない。おまえは中学二年生か!って言いたくなる。自分が「世間とズレている」ことを自分でちゃんと意識している時点で、キミはまったく正常だ。世間とぜんっぜんズレていない、ごく標準的な人間だ。「俺ってよく変わってるねって言われるんだよねー」って自慢げに言う高校生とおなじです。

 ま、わっしのような感想を持つ読者がいるだろうことを十分予測し、承知した上で、あえてあーゆー人物に設定したのかもしれんがね。そこはわからん。

 

 それを置いても、最後まで読ませるのは、さすがの力量でしょう。やっぱりはなしが面白いから最後どうなるか気になるんだよなー・・・