再び金閣寺

三島由紀夫金閣寺

 

 きのう部分的にぱらっと読んで思ったこと。

 

 わっしは以前、「主人公(名前なんだっけ)があまりにも美に執着しているので柏木はそれを正そうとした」的なことを書いたんだけど、どうもなんか違う。

 正しい認識をもって行う行為は、行為自体の正しさはさておき、意義のあるものだが、間違った認識のもとでされる行為は、たとえ行為自体が正しそうに見えても、なんの意義もない、見たいな考えが柏木にあったように思える。んで、主人公(名前なんだっけ)は、人生そのものを直接美に結び付けているところが、柏木からすれば間違った認識だったんだろう。

 主人公が明るく爽やかと決め込んでいた鶴川の内面、放火するはずだとにらんで尾行した青年が単にタバコを吸っただけだったっていう場面、この二つあたりに象徴される主人公(名前なんだっけ)の思い込みの強さが、柏木には「壊れやすい」と映ったんじゃなかろーか。