a devoted religionist
ルイス・スアレスはアン・ハサウェイに似ているという持論を社会モンダイにまで発展させようという目論見があるわっしなんだが、まずこのブログが読まれないことには始まらない。
そこでだ。わっし、聖教新聞ってキリスト教関係の新聞だと思ってたのだ。大学生くらいまで。
いつ気づいたかというと、あれは大学4回の学園祭の日。一緒に回ってた友達のトモダチが、なにやらブースで出展しているというので、その友達について行くことになった。
んで、出展しているブース(教室)に入ると、なにやら壁一面に貼られた模造紙(って知らないかな)に、なにかの研究成果がキレーに書かれているのよ。正直内心、(あちゃー。リアクション困るー)とか思いながら真面目に読むふりをしてたのね。だってその友達のトモダチはわっしの友達ではないからね。初対面だし。
んで、チラチラ読んでいくと、なにやら創価学会の活動の記録(?)等の研究成果の展示みたいだったのだよ。
そこへその友達のトモダチがわっしらのところに来て、「どう?」的なことを聞くわけ。そこでわっしはその受け答えを友達に任せて(友達を売るわっし)、話聞いてたんだよ。そしたらその子、なにやら池田大作先生と中国共産党との交流について、熱く語りだしたわけ。
わっしはさらに(あちゃー)と思いながら、そのアリガタイお話を聞いてたんだけどさ、話の切れ目でふと教室を見渡すと、聖教新聞が平積みにされていたんだわさ。そこで気がついたね。この世の壮大なからくりに!! (おおげさ)
結局わっしらはそのアリガタイお話を20分近く聞くことができ、なにやらちょっと解脱したような顔つきでブースを後にしたのだった。
ブースを出た後、友達がひとこと。「なんかゴメン・・・」
ゴメンなわけあるか!!あんなアリガタイお話が聞けたんだから、わっしは大満足だよ!コンビニで立ち読みするより有意義な20分の過ごし方だったよ! ・・・だったーよ・・・
以来、聖教新聞のCMに悪い意味で敏感に反応するようになったよ。
なんか文章がまとまらないけど、要するに、宗教について語る人が怖いんじゃなくて、こっちの反応もお構いなしにまくし立てるその剣幕がコワいんだよ、ってこと。